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割と時間がかかってしまったが、ここにきてやっと覚悟が決まり、腹も括ったので、
自分の集めて来た手札を切って行こうと思う。
Betはだいぶ上がっている気がするけれど、
こっちの手札がはまれば、大丈夫だと、信じている。
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割と時間がかかってしまったが、ここにきてやっと覚悟が決まり、腹も括ったので、
自分の集めて来た手札を切って行こうと思う。
Betはだいぶ上がっている気がするけれど、
こっちの手札がはまれば、大丈夫だと、信じている。
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雫の連なりが大地を横切り、ひたひたと湿らせていく。
ゆるりと止むことなく静かに降り進む秋雨は、
いよいよ真に秋の訪れを告げる。
雨向こうに見える景色はぼやけ、
聞き知りもののかそけき声ぞ、何処より聞こゆ。
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人にものを頼むって、なんだろうね。
相手に時間を使わせる、相手の時間を使う。
どういう頼みごとかによるけれども、人生を80年としたら、80年×365日×24時間=700,800時間のうちの極々僅かなものかもしれない。でも、進んだ時間は覆水のように、その盆・・・その人の手元には返らないのは事実でもある。
そういう意味では、頼みごとをすることで、その人が持つ時間をこちらが盆から水を零してしまっているのかもしれない。
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同じ「時間」の話として、二十年生きてきた人のことを少し考える。
20年365日24時間を生きて175,200時間。一年間は8,760時間。多い・少ないと感じるかはまた別として、時間感覚(時間律)を一日24時間制の元に平均化した時には、人は20年生きたらそれだけの時間を過ごしてきたことになる。無為に過ごした一時間、物凄く充実した一時間、寝ていた一時間・・・そんなものが折り重なって、積み重なって、その175,200という数字を作り上げている。
「今」に至るまで「あっという間」だったにせよ、そこにはその重みが本当は誰にでもあるのだろう。純粋に「何時間」というだけで表せないとは思うけれども、それだけの時間を途切れることなく続かせているということは、やはり凄いことなのだろう。
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きっと、きっと、まだまだ青く、子供なのだろう。
早く大人になりたいとはあまり思わないし、青い自分を見てるもう一人の自分がそれを許してくれることが、とても嬉しいのだと思う。
Twilight -Breeze from Brazil-
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他人の形作った自分、が強ければ、それはある意味とても楽なものだ。
それに当てはまれば、そういう風に生きていけるし、
もし自分が違うとするならばそれと真っ向から戦えばいい。
そこまではっきりしているからこそ、自我がもち易くなる、ということもきっとあるのだろう。
価値観の多様化、際限の無い受容は時に、輪郭を溶かしてしまう気がする。
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走り出そうとした瞬間に大こけして出来た傷が、やる気を割りと削いでいたり
こけたショックで色々と飛んでいたことが、あって
そのことが、改めて思うと、とても悔しいのだ。
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探す編曲が片っ端から、本業の傍ら的なあまりパッとしないものばかりなので、ついカッとなったものの、実際にやってみるとオーボエとかファゴットとかこういう曲調で使い方が判らん・・・
まじめに音源捜すしかないのか・・・
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時間は覆水のように戻らぬものだ。
だからこそ、自分の手元においておける時間に対して手を抜くというのは、とても失礼であり、勿体のないことなのだろう。
自身の勘を信じて、力いっぱい遠くに投げるのだ。
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―ある事柄について理解し得ない愚者の愚かしさを笑うのではなく、その愚者に自らの説明では理解させることが出来ない、その己自身を恥じるべきである。
なんとも、見習わなければいけないと痛感した日であった。
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色々とやってきて、色々と考えてきて。
大げさに言えば、音楽による情景描写は可能か?ということについての、自分なりの回答だったのかもしれない。
web アルバム『雨降りの組曲』
http://www2.rikkyo.ac.jp/web/07hm011b/suite_rain/enter.html
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あけましておめでとうございます。
いらっしゃい、2009年。さようなら、ありがとう2008年。
今年も宜しくお願いします。
追記:
第三回放送分が公開になりました。新年早々時間を持て余してる輩は聞くがいいさ。
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過ぎ去っていく時間が、通り過ぎていく瞬間が、音も無く、風のように早く消えていく。
加速した風景は、その色が混ざることも無く・・・むしろ鮮やかに過ぎる色彩を帯びて、だからこそ寂しさが混じるのだった。
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きっと、何も気にせずに、何も背負うことなく、他のものに見向きもしないで、
守るものも、失うものも持たずに、その身だけのままで、
ただただ真っ直ぐに、何処までも真っ直ぐにがむしゃらに突っ走れるのは、
きっと今が最後なのだろうな。
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改めてみれば色々と思い当たる節もあり、なんだ、ただそういうことだったのかと振り返る。勿論、きっと色んな要素が絡み合ってるには違いないのだろうけど、根本はそこなのだ。
何処からか雨音の合間を縫って七月の呼び声が聞こえる。六月の雨、梅雨と共に時はゆるりと流れていき、夏が来る。
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「誰だって調子の悪い時がある」
村上春樹の小説に出てくる言葉。真実ではあるけれど、さりとてそれが慰めになることもない。本当は、そんな時は何もせず、穴の中にうずくまって冬をやり過ごす蛇の様にしてればいいのだろうが、そうもいかないものだ。
それで、一体どっちに進めばいいんだい?
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時間は決して同じ時を二度と繰り返したりはしない。
同じ季節が巡ってきても、そこにあるのはあなたにとって同じ季節ではないはずだ。
あらゆるものは変わり、代わり、替わりゆくものだ。生きているものは特に。
淀んだように見えた時間が再び、動き出す。気付かぬ内に手から滑り落ちる。
明日に繋がる今日があり、今日のための明日があるのだ。
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誰かに、そういわれたりしたわけではないけれど、まあきっと生き急いでいるのかもしれないな。流れ過ぎ去る時間が、絶対に戻らないことを理性ではなく、心の底に響く実感として感じた時から、きっとそういう生き方をするようになったのだろう。
かくもあはれなるうたかたのよにて、われはせいてすごしたるか。
とふひとありけれど、さりとてこたふるべきこたへをもちあわせたらむ。
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世界のあらゆる事象は、かくて自分自身の存在さえも薄氷のように脆いものだ。色即是空。聊か古い考え方だとは思うのだ、が。
そして、「生」と「死」の関係について、死というのは生の末端-一つのゴールとしてあるものではない。きっと「生」の中に死があるわけでも、ないと思うのだ。
むしろ、「死」の中に「生」があるのであり・・・そのことだけが、一つの救いとなりうる気がするのだ。
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人としてのこころを持って生きている以上は、やっぱり心が荒む瞬間と言うのは必ずあるものなのだなぁ。
何時だってこの世界には、この世界を愛しつつ、片や嫌悪しつつの愛憎入り混じった、矛盾孕んだ感情で挑んでいるけれど、心が荒んでいる時は後者の割合が大きくなってしまうものだ。
それが、こころにいるもう一人の自分の目線から見ると、とても寂しいことに映るのだよ。
きっとそんな心の荒みの原因も、ただただ少し疲れてるだけなのだ。
少し、休みなさい。
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水の中を泳ぐように、夢の中を泳いでいた。
眠りは時として毒になるのだと、今更知った。
病に侵されたときに見えたものは、この世界のあまりの余所余所しさと、吐き気のするほどの妙な景色だった。
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ある意味において、自分が既に死んでいる存在だと思うならば、あらゆるものが愛しく見えるものだ。
ある意味において、そんな自分を受け容れることができるならば、色んな人が、とてもそれぞれに稀有な存在だということに、気づくものだ。
そんなことを、雨はよく教えてくれる。
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“人生は一つの物語だ”という誰かの言った一綴りの言葉は、決して間違いではないと思う。けれどそれ以上に、あえて物語と言うもので人生を例えるならば、“幾つ物交錯した連作短編が大きなうねりを持って、一人の巨大な物語を作り出している”という方がしっくりくる気がする。(勿論、一つの物語、という風に言った時にそれが全くの一本で完結した、可逆性のないもの、と解釈しての話だけれども)
その人自身の中では勿論、ずっと物心ついた頃からの「自分と言う主人公のための物語」なのだろうけれど、他者からみたそれは、その人の口から語られた話・・・或いは共に体験した話による“短編”でしか読むことのできない物語なのだ、と。
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ただ純粋に、何も考えないで、感覚のままに真っ直ぐ。
計算も何もなく、物事と向き合って、自分の持てる力を全てぶつける。
忘れていたような、シンプルな物凄い良い気分が、そこにはあったのだ。
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痛い思いをしているのに「痛くない」と強がる・・・それは本当の「強さ」でも何でもないのだろう。その痛みを、正面から受け止めて、ちゃんと「痛い」と言えること、それが強さなんじゃないだろうか。
或いは、楽しいときには「楽しい」といえて、辛い時には「辛い」といえる。見てみぬフリをして、鈍感なフリをして、様々なことが自分の上を通り過ぎていくのを待っている。もう、全てを諦めた様な顔をして、全てを悟ったよな澄ました顔をしている。
そうやったとして、見えてくるのはモノトーンの寂しい世界だろうに。
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“平凡な日々”というのは、実際にはありえない。
もしそう自分の人生をそのように思っているならば、それは自分自身の人生と、或いは自分の周りにあるあらゆるものと、「本当の真正面」から向き合ってないだけなのだ。
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多分、自分の好きなものは、自分で見つけて手に入れるからこそ、その人にとって本当の価値があるのだろうな。
ただただ与えられたものはだから、時としてその人にとって何の価値もないこともあるのだろう。
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心配したり、愁いたり・・・何だかんだと、いろんなことを想っていても多分、それはそれで無駄なことだったり、当人にからしてみれば、そんなものは或いはお節介で余計なことだったりするのだろうね。
結局のところは、同じ地平に立っているということ・・・それだけは、やっぱり忘れてはいけないんだろうなぁ。
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かつて私にとって二年前と一年前のこの土日が、一つの最大の決戦だったように…今年もまた多くの人々にとっての天王山で、正念場なのだろうな。
そんな人々に、一抹の幸福あれ…意志を貫き、意地を見せるチャンスを。
多分、これまでも、これからもずっと、何かが始まる楽しさと、何かが終わっていく寂しさを、何回も何回も繰り返し経験して、両手に抱えきれないほどに感じながら、生きていくのだろうな。
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自分で責任を背負い、自分の足で歩いていく覚悟がないなら、そこで止めてしまえ。例え、ボロボロになって膝をつき泣き喚いても、覚悟もなく、自分で立ち上がろうともしない人間に手を差し伸べる気はないよ。どうしてもやりたいことを貫き通す時に、人の手を借りるというのは、そういうものだろう?
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