*どこかの対話篇
「いきなりなのだけれど、芸術ってどういうものだと思う?」
『まったくもっていきなりだな』
「いやでもほら、一応そういうものに関わる者としてはやはり考えざるにはおえないじゃない」
『そうだねぇ』
「だから、たまには意見を聴こうと思って、ね」
『芸術・・・芸術と一口にいってもやはり色々とあると思うけどね』
「うん」
『その中で最近は割と純度の高い芸術の中には“根幹”は同じにせよ、2種類のタイプがあるのではないかと思っている。』
「2種類のタイプ・・・それはある程度明確に分けられるものとして?」
『明確な基準とは言えないかも知れないけれど、少なくともその方向性としては2つあるような気がしているんだよ』
『その1つが、人の心を救い上げたり、癒したり・・・というとちょっと怪しげな感じにはなってしまうが、ともかくそういう風に人の心をプラスの方面に持っていける様な形のものがあると思う』
「うーん、じゃあ例えばそれは美しい音楽を聴いて、和やかな気持ちになったりうっとりしたり・・・という感じかな?」
『そうだろうね。素敵な音楽だったり、とても“きれいな”絵や映像(映画etc)に触れることで、心の中でカタルシス・・・ある種の浄化が発生するものが1つの傾向として、それが作り手の本望でないにせよ、あると思う』
「なるほどね。じゃあ、もうひとつは?」
『もうひとつは・・・そうだな、人を食い殺すかのような芸術とでも定義すればいいだろうか』
「それはまあ、物騒な物言いだね」
『もっと言うと、その人の根底的価値観をスコーンと引っ叩いたりしちゃうような、今までの培ってきたものを全部崩してしまう様なものだったり、あるいは作品を見たり聴いたりするだけで、その作品に取り込まれて、自身が殺されでもするかのような状況になってしまう芸術の形もあるのだと思う』
「ふむ・・・それは例えばどんなのがあるだろうか?」
『なかなかにそれは人それぞれのステレオタイプ部分に因るところが大きいから、一概には言えないだろうけど・・・強いて言うならば、音楽界における潮流でJ.ケージの行った“3分44秒”が与えた影響はそういう既成概念を食い殺す、という意味では近いと思う。後はもっと平たく言えば、前者のどちらかというと気分を正の方向に持っていく芸術に対して、マイナスの方向に引っ張る・・・例えば欝の方向に引っ張るような芸術、あるいはそれに順次する表現形態の属性・志向性は確実に存在すると思う』
「なるほど・・・確かに、ずっと前に観た“ダンサー・イン・ザ・ダーク”とか、毛色はまったくことなってしまうかもしれないけれど、村上春樹の“羊をめぐる冒険”に続く三部作、重松清の“疾走”なんかは、読んでて幸せな気分というところよりは虚無感だとか、ある種の絶望感を感じたかもしれない」
『小説という表現形態もやはり簡便な言い方、極端な言い方をすればハッピーエンド・バッドエンドという形でその属性、志向性は絶対に存在すると思うんだよ』
「なるほどなるほど・・・でも、そういった志向性があるのはわかったけど、それは芸術がなんであるか、という問いには答えてないよね?」
『直接的には、答えてないね』
「その問いには、じゃあ答えられるかい?」
『その答えは、実際には十人十色だと思うけれど、少なくとも今までの流れ、プラスにする、マイナスにする、という考え持ってすれば、純度の高い芸術というのは人の心を無条件に動かすもの、としていいかもしれない』
「案外、素朴というか、普通な答えだね」
『きっと千年とか、そういう単位で芸術に関する議論はされてきたけれど、根本的なところではやはり人の心をどれだけ、あるいはどういう風に動かして、影響を与えるか、というのが芸術・・・つまるところ表現の究極であると思う』
「じゃあ逆に心を動かさない表現、芸術は意味がないということ?」
『個人的には意味がないと思う。それはつまり自分自身の表現が相手に伝わってない、ということでもあるし、伝わった瞬間からそれは発信者と受信者の間でコミュニケーションが始まって、コミュニケーションが始まった時から、それが真摯なものであれば、絶対に心は動くものだと思うのだよ』
「そういうことになるのかなぁ。それだけじゃない気もするけど」
『それ以上になるとでも、もしかしたらまだ普遍的に話せる部分もあるかもしれないけれど、個人的にはそれが一つの芸術、表現の根幹を成す“普遍”だと思っているよ』
「そうか、君は少なくともそう考えているということになるんだね」
『全然えらくもないし、ただの一介の凡人の考えではあるけれども、そういう風に考えてはいるよ。それがまた実践を伴うかはまた別問題なのが辛いところだけど』
「まあ、とりあえず考え方はわかった。こっちでも少しよくよく考えてみることにするね」
『うん、考えがまとまって、少し違う部分が出てきて、もしよかったらまた話をして欲しい。自分と違う角度で見れる、というのはとても大切なことだから』
「わかった、じゃあ今日のところはこれで」
『じゃあ、また』
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