越生へ
そんなわけで、8/3-4は埼玉はゆうパークおごせへと、学年旅行でした。
あっさりと書いてる人が多いので、あえてどっしりと書いてみる今日この頃。
昼少し前に起きだし、旅行の準備。前日、花火大会の場所取りから帰って早々に寝てしまったので未準備。とはいえ今回はキャンプということなので、風呂や着替えの展望を持たずに、旅行用品はタオルとTシャツだけで、後は普段の持ち物を詰める。そして、家を出て、電車に乗って10分。直近のポータル駅に着いたところで、人身事故発生のお知らせが流れるという事態に出会う。そのため、結局最寄の駅までは路線として独立して動いていたので、自宅の最寄の駅に戻り、そこから出ているまた別の路線の振り替え輸送で再出発。これが個人的には精神的にかなりグッタリとくるものであった。
他の人々より30分遅れで池袋着。気付けばぶらり一人旅状態で、東武線に乗り、一路越生を目指す。
東武東上線は志木以降、かつて1、2度寝過ごした時にしかいったことはなかったのだけれど、何と言うか、路線からの町並みには八王子とか、そちら方面の雰囲気を感じた。全く知らないはずの街が、何処か、知っている街に似ている。そこには勿論、ある種の悲しみが存在するものの、何となく心強くもあるものだった。
越生線は、それを取り囲む風景がのんびりとしていて、ある種のレトロさを持った、何処までもローカルな路線だった。
坂戸で乗り換え、東武越生線へ。そこでしばし、果てしないほどぼんやりとした精神状態になる。そして、最近本当に必要なのは、一人でそういう風に誰にも気を使わないで、果てしなくぼんやりすることなのではないかと、フト気付く。同期の男が望んだように、数時間、ぼぉっと海でも見てきた方がいいのかもしれない。
東武越生線、JR八高線の2路線が停車する駅の割にはとても慎ましい佇まいである。
越生駅に着くと、湿気を含んだ熱気が身体にまとわりついてきた。盆地だからなのか、どうにも東京よりも暑い気がした。そして、同期の車にお出迎えされ、そのまま買出し要員として近くのスーパーで買出しし、いよいよキャンプ場へと行くのだった・・・しかし、こう同期の運転する車に乗る、というのは若干妙な気分になるものだ。それはきっと、車の運転というものは、親がするもの・・・いや「大人がするものだ」という意識があるからなのだろうか。慣れればどうということはないのだろうが、どうにも不思議な気分になったのであった。
正式には「ティピ」らしい。中で寝ていたら、人の蒸し焼きが出来そうだった。
無事に全員集結し、利用説明会の後に早速バーベキューの仕度。個人的には新勧の時のようなガスコンロ系を使うかと思いきや、何故か炭を使うもので、しかもその炭が居酒屋のモノと違い大分使い辛そうな雰囲気を醸し出していた。何より、そういう炭の火起こしにはそれなりの火力が要るのだが、そこがやはり色々と妙に苦戦することに。必死で火力を集め、空気を送り、炭に火を入れて拠点を作り上げた後に、そこで焚いた炭を分けたりしつつ軌道に乗って一安心。そこは焼き鳥屋バイトの面目躍如となったのだろうか。だが、旅行でバイトとおなじことをしている、というのに気付くと少し哀しくなった。
痩せ気味で、割と人慣れしているようであった。某女が会話をしていたようだ。
軌道に乗るまでが色々と大変であった。
そして、食後、片づけをしつつ男は先にキャンプファイアの準備に。場所を探して彷徨うのは何だか去年の買出しを思い起こさせ、スタンドバイミー状態になりながらも、作業をしてキャンプファイアを組み上げる。
序盤に少し不安要素があったものの、最終的には「正しい」キャンプファイアになった。
最初の灯油効果が薄れたのか、死に掛ける火。それに灯油をかけたり、枝を投げ入れたり、枯れ草を投げ入れたりして、何とか木に火を移し、それからは綺麗に燃え上がっていくのだった。火の粉が、暖められた空気に乗って空へ立ち上っていく様は、とても美しく暗闇に映えていた。そして火葬という形態は、ある種のロマンティシズムを孕んだ洋式だったのかもしれないと思うのだった。
キャンプファイアといったら火を囲んでフォークダンス、ということでマイムマイムを踊るも、息切れが多発し、即終了。個人的には、その正しい遣り方を最後まで理解できずに終わる。後は写真を撮り、歌を歌い、火の前でポーズを取ってみたりしつつ、途中で蝉が火の中に飛び込んだり、近づくと汗まみれのTシャツが一瞬で乾くほど熱かったりした。
フラッシュを使わずに撮ったものの、ホワイトバランスがおかしいせいで、キャンプファイアが凄まじい色合いになっている。
堪能した後、コンパへ・・・でも会場の準備や着替え等々があり、始まるまでは大貧民をするのだった。
総括すると色んな話が飛び出ていた。
去年と比べたら、やっぱり互いに知れあっていて、気の置けないところがそれなりにあるので、物凄く気楽な雰囲気で挑む。最初の乾杯が、諸事情により中々始まらなかったものの、皆喉が渇いているので結局直ぐに乾杯をすることに。そして、今回はここ一週間の疲れや気を抜きすぎたのか、或いは色んな話が面白くて、手元が疎かになっていたのか、気付けば缶もの2杯に加え、オレンジジュースやコーラを使い1:1で割っていたウォッカを5、6杯飲み、何故か実行された肝試しで暑い中を歩いて気持ち悪くなり、ダウン。そして、男が足りない、と言う声を聞いて肝試しニ回戦目・・・再び生ぬるい空気の中を歩き、ダウン。
気付けば嘔吐しかけていて、結局、ビニールの中に吐いてしまっていた。「潰れるなんて珍しい」という声と、周囲の心配する声に「疲れた」という言葉を投げかけ、そのまま意識の暗闇の中へと沈んでいった記憶しか、そこらへんは残っていない。
完全に意識が途切れ、そこから復活してみると、少し人数が減っていた。
後で聞けば、そこでとてつもない会話がなされていたようだが、寝ていたので知らぬが仏。そして起き出して、某☆に命名された「ラジオ・パオ」の時間が始まる。自分を含む三人で妙に哲学的な話をする。音楽の話やら、そこから派生して今回の定演の自分が振る曲の話、そこから全く飛んで死生観や、行動倫理、価値観の成立などを話す。そういったことを言語化し、改めて鑑みるのは非常に面倒なことなので、今後話されることも無いだろうが、改めて自分がある種のアウトサイダーなのだと、自覚するのだった。しかし深夜のテンションというのは、時として何処に向かうか判らないものなのだ。
夜明けが近づく。
流石に話が途切れがちになり、5時ごろに軽く片づけがなされ、男はティピと見せかけて、結局未使用のパオに宿泊。コンパの顛末や男旅行的なテンションの話をした後に、順々に就寝していく。
・・・が、個人的にはどうにも寝付けない。勿論、コンパの途中で結局1時間くらいは寝ていたからなのだろう。なので、起き出して軽く散歩・・・に行くつもりが、これが結局3時間の行脚行になった。しかも、そうなることを予想してなかったので、よれよれのTシャツにビーチサンダル、腕時計といういでたちで、携帯も財布も、カメラさえ持たずに。
最初はゆうパーク内をぐるっと回る。途中バーベキューの時と違う猫に出会う。そこでぼぉっとしようと思うものの、虫が多くてふらふらと歩き出す。ゆうパークを抜けて歩き、田舎然として風景の中にある高福寺へ。小山の斜面に作られたお寺。こじんまりとしていたが、お祭りになると賑やかになるのだろう。参拝し、下山。
そこで帰ろうと思っていたのだが、途中で「東山神社」の標識を見つけてそれを見に行こうと思い、彷徨う。
ただ、この標識がかなりいい加減だったのかいつまで経っても着かない。毛呂川に出くわしたり、そこら辺で犬の散歩をしてる人達に挨拶をしつつ、何とか見つけた標識を辿り、30分ほど迷って到着。立派な木に囲まれて、でもすっかり寂れた神社は何処か物悲しく、それでもその、ある種の神性を孕んだ静けさはとても心地よかったのだった。立ち去り際に境内で人と会い、世間話をしてしまう。そして再び、歩き出す。
ぐるぐると抜けて、また違う道に出る。どこまでも広がる畑の風景、真っ直ぐ空に向かう登り道。時折通る、新聞配達のバイク。後姿は、直ぐに遠くなって、消えていく。
勘で歩き続け、それっぽい方面に向かうこと暫く、ゆうパークへの道しるべにぶつかる。帰還か迷うものの、もう一つの道しるべにあった「虚空蔵尊」に向かうことに。
再び、見知らぬ街の中を歩く。
見知らぬ街、という割にはどうにも安心感があったのは、やはりかつて中高6年間通っていた学校に向かう、スクールバスから見えた風景にとてもよく似ていたからだろうか。東京の学校、といっても最寄り駅が高尾であり、そこからバスで10分だったのだから、山奥にあった学校だったろう。そういう環境を鑑みると、その越生の町の雰囲気は何かしら、記憶の中の風景に通ずるものがあったように思えるのだ。
分かれ道、道しるべで「大宮神社」を見つけ、先にそちらへ向かう。
分かれ道から暫く、主要道路から分かれて木立に囲まれた坂道を少し登ると、大宮神社はひっそりと在った。東山神社がどちらかといえば住宅街の中にあった神社だとすれば、大宮神社はきっと、ずっと前からその山にあった、ある種の由緒正しさがあるように見えた(実際にそうかは知らない)。そこだけ、何だか気温がスッと低いのである。しばし参拝して、立ち去る。
虚空蔵尊を目指す道すがらに限らず、何処もかしこも蝉の鳴き声で埋め尽くされていた。感覚的には、やはり東京よりもどうにも数が多いのか、非常にうるさいくらいに鳴いていた。田園やら畑、遠めで見える山の緑も相俟って、ある意味何処までも夏の風景が眼前に広がり続ける。
虚空蔵尊は果てないかと思えるような、苔むした長く急な階段を昇った先にあったのだった。これまで回った三箇所のいずれよりも高く、いずれよりもこじんまりとしていて、ひっそりとしているようだった。鳥居横にある妙な木箱には達磨がいくつか打ち捨てられており、それぞれが木陰の中であらぬ方向をじっと見つめている。本尊に参拝した後、ふとそちらを見るとその中の達磨の一つと目が合い少し気まずくなりつつも、下山し、桂木観音という標識を見つけるも、流石に身体に現れてきた疲労感を認めて、帰還するのだった。
結局、三時間程度歩き通し、標識で見た距離や迷っていたことも含めると5km以上は歩いていたようだ。飲み会の後、ボロボロの体であんなに歩いたのは嘘の様でもあり、実は夢か何かだったような気もするが、あとで見た足の酷い汚れからするとやっぱり夢ではなかったのだろう。いずれにせよ、その妙な行脚が今回唯一の観光でもあり、とても不思議な体験でもあった。
ふらふらと男のパオに戻り、流石に布団に入るも、他の利用客なのか意外と周囲がうるさく、結局まんじりともせず、全員起床となって、顔を洗い、上を着替え、荷物を片付けて、最後はぼーっとしながらも、チェックアウト。チェックアウト後、何故か駅までのバスが1時間半くらいあることが発覚し、皆で遅めの朝、早めの昼ごはんを食べる。女1人が用事、クラパートが長瀞観光のために先に解散。他は話をしたり、大貧民をしたりして過ごす。
越生駅に移動し、そこから東上線を乗り継ぐ。また、旅が終わるのだ。
ここのところ短い旅があったのと、旅らしい旅でもなかった所為か、いつも感じる寂寥はあまりなかった。或いは、ただ単に疲れて眠かっただけからかもしれないが。
そしてこの話の結末としては帰宅後、シャワーをざっと浴びて目を覚まし、17-23でバイトに挑み半分寝ながらも、暇な6時間を耐えて二回目のシャワーを浴びると、ばたっと寝てしまうのだった。
事柄を殆どもらさずに書くと、こうなる。というか、個人的には色んなことがありすぎて、あれらが全て24時間足らずの内に起こっていたことだとは、どうにも思えないのだ。たった2日間(そして同期といた時間は1日未満)の旅行なのに、3、4日分の時間を過ごした気がするのは、起こったことがあまりにも重くて濃密だったと、言えるからなのだろうか。いずれにせよ、色んな意味で面白く、非常に楽しい旅行であった。これを踏まえて、というと無粋なことになるのかもしれないが、今後の20期に待ち受ける事柄を頑張って生きたいものである。
この項、了。(一回これをやってみたかった。)
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コメント
やぁ、ほしお兄さんだお!
事細かに書いていて、すごく……忘備録ですね。
てか寝てなかったんだ! 俺は爆睡だったよ。。。この夜型人間め、俺もつれてってくれ。
投稿: ほし | 2008年8月 6日 (水) 21時34分
やあ。
なんというか、一日経ってる割には割と覚えてるもんだ、と思った今日この頃。完全に記録係と化してますね。
つーか、朝5時~8時の時間帯は夜型人間の範疇なのか・・・?( ̄  ̄;
投稿: pon | 2008年8月 7日 (木) 02時55分
いやぁ、今回は色々とお疲れ様。
「ラジオ・パオ」では、3人だったけどいつもとは一味も二味も違う話が出来て、とても充実した時間が過ごせたよ。
それでは、また次回の「ラジオ・パオ」をお楽しみに(笑)
投稿: 「ラジオ・パオ」の1人(♂) | 2008年8月 7日 (木) 09時55分
今更ですがコメント…(笑)
今まであんなに話したことなかったから(←笑う所)なかなか新鮮でした。内容はいろいろカオスでしたが全体的に勉強になりました、ありがとう!勢いで楽器買うとか言ったけど、もちっとよく考えるね(笑)
投稿: ラジオ「パオ」3人目(♀) | 2008年8月 7日 (木) 23時02分
>「ラジオ・パオ」一人目
その節はどうもお疲れ様。
今思うと何が何処からあんな話になったのかさっぱり判らない今日この頃。
次回は夏合宿か・・・?(笑)
>「ラジオ・パオ」二人目
内容はとてつもなくカオスだったね。というか、何で学年旅行にスコアとか持っていってたんだ・・・
楽器は高い買い物だから、ちゃんと計画性を持つのだよ。自分が言っても説得力なさそうだけど(笑)
投稿: pon | 2008年8月11日 (月) 03時07分